大塚大使挨拶
日本大使館のウェブページへようこそ。レバノン共和国の象徴であるレバノン杉が古代ノアの箱舟の建造に使われたという伝承を誰もが知るように、レバノンの歴史は世界の文明の進展に貢献してきました。標高3,000メートルを超えるレバノン山脈は、豊かな自然の恵みをもたらしてきただけでなく、中近東に興った大帝国の下での少数民族や特定宗派にシェルターを提供してきました。その結果、当国には公認されているだけでも18の民族、宗派が今日でも共存するという、極めてユニークな社会が発展、形成されています。
こうした歴史的背景の下、レバノンでは多民族多宗教社会を基盤とした民主主義システムが1943年の独立とともに導入されて、強力な市場経済によって牽引されて急速な経済発展を遂げました。レバノンは商業、貿易、情報、文化、観光の各方面で地域をリードして来ました。
わが国は戦後国際社会に復帰した直後の1954年にベイルートに公使館を開設して、レバノンを中近東との貿易、経済関係の要衝と位置づけ、緊密な二国間関係の構築に務めて来ました。1970年頃にはレバノンの在留邦人は1500人余りに達し、ベイルートは日本の経済活動の拠点としての機能を果たすようになりました。
その後1975年に始まり、1990年に終結したレバノン内戦、その後に起きた散発的な軍事衝突の間に、レバノンはかつてのような中近東における中心的役割を果たせない状況に置かれていました。わが国との関係においても、内戦中に企業の拠点を他の都市に移してしまったため、日レバノンの交流は現在に至るまでかつてのレベルにまで回復しておりません。
しかしながら私は、日本とレバノンの関係は将来に向けて多大な可能性を秘めていると考えています。日本にとってレバノンは次のような戦略的な重要性を持っているからです。
第一は、レバノンの政治的不安定は中東全体の安定性に大きな影を落としました。このことからも当国の政治的安定を国際社会が支援していくことが死活的に重要です。
第二は、海外には1000万人以上のレバノン人が在住していると言われ、中南米、アフリカ、欧州、北米などで多大の影響力を持つコミュニテイを形成しています。世界各地でわが国の企業や邦人の方々はレバノン人との接点を数多く持っており、二国間の友好関係は欠かせないものとなっています。
第三に、とくに湾岸地域をはじめ中東において、プロフェッショナルな分野で活躍するレバノン企業とわが国企業が連携して経済社会活動に今以上に従事していくことは、わが国の国益にとっても望ましいものです。
そして第四に、実は私はこの点を最も強調したいのですが、日本人が歴史文化大国であるレバノンのことをもっと知ってほしいと思いますし、レバノン人にもマンガやアニメ、寿司など日本食というサブカルチャーを超えて、日本の思想文化歴史などに触れてもらいたいという思いがあります。多様な価値システムに基づいて異文化を受け入れることの出来る日本人もレバノン人も、二国間の活発な交流を通じてお互いが精神的により豊かになれると確信しているからです。
レバノンは既に一人当たりの所得が9,000ドルを超えるという高い水準に達していますが、わが国は貧困軽減やBHN(ベイシック・ヒューマン・ニーズ)に関わる分野などにおいて開発援助を実施しています。それは上述のとおりレバノンの安定が中東全体の安定に深く関わっているからであり、中東地域のエネルギーに大きく依存しているわが国の繁栄にはレバノンの安定が不可欠であるからでもあります。わが国は、内戦や隣国との軍事衝突によって被害を受けた地域、経済開発から取り残された貧しい地域に対して、小額ではありますが資金的な支援を行うとともに、レバノン人の人材育成に関わる技術協力を実施しています。
こうした開発援助は、二国間の協力関係や相互理解の強化に役立つものであることは間違いありません。わが国としては、2011年3月に起きた東日本大震災に際してレバノン政府をはじめ様々な市民団体などから表明された弔意と義捐金の申し出に深く感謝するものであり、このことは二国間の友好関係強化に向けての我々の決意を新たにするものであります。
最後に私事におよぶ事柄ですが、私は1977年から1年数ヶ月の間レバノンに学生として滞在したことがあり、当国は自分の青春時代の思い出を刻んだ土地であります。初めてスキーに興じたのはレバノン山中のリゾート・ファラヤでありました。自分の車を運転するという経験も当地に来てからでした。レバノンは私にとっていわば第二の故郷のようなものであり、この国との友好関係強化のために尽力できれば望外の幸せだと感じております。
2012年8月
駐レバノン日本国大使
大 塚 聖 一